おしながき

味噌漬け豚ばら肉のロースト


味噌の香りが芳ばしい豚ばら肉のロースト☆彡

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日本人が肉を食べるようになったのは明治時代になってから。

江戸時代にも「薬食い」と称して牛や猪などが食べられていたが、庶民一般に広まるのは明治時代以降のことになる。


よかったら過去Blogも見てね。👀

→ 味噌漬け豚ヒレカツ
  蕪村や一茶の俳句にも登場する「薬食い」

→ 猪鍋(醤油ベースにささがきごぼう)
  山くじら。イノシシとクジラの関係

→ 猪のすね肉のおでん
  雄略天皇と猪 花札に萩の花 秋の七草


📖


明治時代に多く出版された西洋料理の本のなかでも初期の一冊に『万宝珍書』(明治6年)という本がある。




出典:『万宝珍書 食料之部』須藤時一郎編(明治6)


頁数は多くないが、牛肉、仔牛、羊肉、子羊、豚肉、山羊、鹿、うさぎ、牛乳、クリーム、バター(牛酪)、チーズ(乾酪)、ワッフルやライスチーズケーキの作り方から、りんご酒、レモン酒といったリキュールまで幅広い。



この本を書いたのは須藤時一郎という人物で、天保12年(1841年)江戸の生まれ。22才のときに文久3年の第2回遣欧使節団(横浜鎖港談判使節団)に随行している。




今なら大学を卒業したばかりの年齢で写真には少年らしさとあどけなさが残る。


パリの医学研究所を訪問した使節団メンバーの写真が残っているので(各自バストアップ)、ぜひ見てね。
   ↓
横浜鎖港談判使節団の一行」 東京大学附属図書館


どの人も個性的な顔立ち(顔立ちというよりは面構えというべきかもしれない)をしていて、それと比べたら私たちの顔はのっぺらぼうだ。


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須藤氏が豚肉について説明するところでは…

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豚肉
豚肉は十分強き滋養の物にして且相当の畜養を受け清浄なる空気の地にありて其体の運動を十分に為せし豚肉の水部は健康の道に益あり

雖(いへど)も左の畜養を欠きたるものは大に害あり 故に衛生上に畜れたるものの肉は消化あしく健康に害あるなり 豚肉は皮膚病の質ある人の為には適当せざる食糧なり
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出典:『万宝珍書 食料之部』(明治6)


今から150年前だから、豚の飼育環境・衛生状態が気になるのは十分理解できる。


調理時間については、8斤(4.8キロ)の豚肉で3時間、5斤(3キロ)の腰肉で2時間から2時間半とある。

これが長いのか短いのかピンとこないので他を見てみると、9キロの牛肉は3時間から4時間、7~9キロの仔牛なら4時間から5時間とあって、扱う肉塊がさらに大きくて益々ピンとこない… 💦




4~5時間もかけて調理するとなると当時ならハエも寄ってきただろう。その除け方が面白い。

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避蠅の法
ブレッキペッパル(胡椒の一種)の粉半匙、赤砂糖一匙、乳脂(クリーム)一匙を混和し、器中に入れ、蒼蠅の群集せし場所に据置べし。
忽(ただち)に群蠅は遁れ去りて其形を隠すべし。
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出典:『万宝珍書 食料之部』(明治6)


ブラックペッパーにハエ除け効果があるのかなあ。機会があったら試してみたい。



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さて調理。豚ばら肉に味噌を塗りつけて
(味噌をみりんで適当にのばしたもの)


3日~4日ほど冷蔵庫で寝かせたものを


常温に戻してからオーブンで焼く。


表面が焦げそうになったら


アルミホイルをかぶせて


トータル40分ほど焼いて


少し落ちつかせてからスライスして


食べる直前にトースターで炙って出来上がり☆彡


日本の食卓に うましかて!


さつま芋のコロッケ


ほんのりとした甘さが美味しいさつま芋のコロッケ☆彡

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サツマイモの「サツマ」が「薩摩」であるのはよく知られているが、今日はあらためてその由来について調べてみた。


江戸時代の享和年間 (1801~1804)、薩摩藩主島津重豪の命により編纂された『成形圖説』に「甘藷」のことが記されている。



出典:『成形圖説 巻20』(文化年間)


私には読解しきれないので、明治時代の引用を借用すると…

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甘藷の本邦に伝来したのは甚だ古く、成形圖説に由ると慶長天和の頃(今を去る三百年)呂宋より薩摩の國坊の津に伝来すとある。

又栽培の起原は薩州山川の人前田利右衛門寛永二年の頃、沖縄地方より持来りしものであるといふてある。
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出典:『澱粉』恒田嘉文編(明治35)


日本に伝わったのは慶長天和年間(1596~1683年)でフィリピンのルソンから鹿児島の坊津に伝来した。

また栽培については山川(薩摩半島南部)の前田利右衛門という人が寛永2年(1625年)に沖縄から持ち帰ったという。



※ 天正元年(1573年)頃にルソンから琉球・久米村に伝わったという説もある。
参考:『甘藷問答』(明治30)


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同様に『和漢三才図会』の引用も借りてみると…


出典:『和漢三才図会105巻首1巻尾1巻[79]』(江戸時代)

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和漢三才図会によれば元禄十一年の頃(今を去る二百年)さつまいもと称し長崎薩摩辺に盛に栽培せりとある。沖縄に伝わったのは儀間親雲上(ギマベーチン)直常なる人支那に渡り、福建省より甘藷の種子を得て帰りしに始まるとしてある。

薩摩では之を唐芋(からいも)と言ひ、九州の大部及び中国では琉球藷といふてゐる。
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出典:『澱粉』恒田嘉文編(明治35)


唐芋、琉球芋、薩摩芋。

中国(福建省)から琉球へ、琉球から薩摩へ、薩摩から関東へ、東に移るにつれて名前が変わっていくのが面白い。


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サツマイモが全国に普及するのは享保17年(1732年)の飢饉がきっかけになっている。

時の将軍徳川吉宗が青木昆陽にサツマイモの試験栽培を命じ、小石川薬園や千葉の九十九里浜などで試験栽培を行った昆陽が『蕃薯考』(今風にいえば「サツマイモに関する考察」だろうか)を発表したのは享保20年(1735年)。



出典:『蕃藷考』青木敦書


享保の飢饉の後も、明和、天明、文化、天保と立て続けに飢饉が発生したため、救荒作物として甘藷栽培は全国に広まっていく。

この辺りは欧州におけるジャガイモと似ている。


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天保の飢饉から数年すると『甘藷百珍』という本が出版される。


この本は『豆腐百珍』に続く百珍シリーズのひとつで、この頃になると単に救荒作物としてだけでなくグルメ食材としても庶民に浸透していたことが窺える。


挿し絵から「おい坊主、甘藷食うか、うまいぞ」という声が聞こえてきそう。


出典:『甘藷百珍』(寛政1[1789])

母親をせかす子どもの仕草もほのぼのとしている。

百珍料理を想像しながら読むのは楽しいので、興味があったら直接読んでみてね。⇒ 『甘藷百珍


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さて調理。コロッケを作ろう☆彡 🍠


さつま芋を適当な大きさに切って電子レンジで加熱する。



牛ひき肉を


玉ねぎと炒めて


醬油、日本酒、みりん、砂糖を加えて


甘辛く煮詰める。



熱いうちに潰したさつま芋に


ひき肉を混ぜて


手頃な大きさに丸めたら



小麦粉をまぶして


溶き卵にくぐらせて


パン粉をつけたら


あとは油で揚げるだけ☆彡


揚げたてのサクサクも好きだけど


翌日のしっとり冷めたコロッケも好き。


日本の食卓に うましかて!