おしながき

煎り雲丹のクリームスパゲティ



今日は瓶詰ウニで作った煎り雲丹パスタ☆彡

「瓶詰ウニ」の発祥は山口県下関市、響灘(ひびきなだ)諸島の「六連島(むつれじま)」

明治20年(1887年)頃、この島の西教寺の蓬山和尚がウニの焼酎漬けを考案したことから始まる。



《「瓶詰ウニ」で作った炒り雲丹


当時、六連島は外国捕鯨船の停泊地でもあり、外国人が多く滞在していた。

あるとき外国人との酒宴の席でアルコール度数の高い洋酒(一説にはジン)が「塩ウニ」の上にこぼれた。その塩ウニを食べた蓬山和尚が芳醇な香りと食感に気づき、塩ウニの焼酎漬けを作った。




やがて品質を安定させるために、焼酎の代わりに純度の高いエチルアルコールが用いられるようになる。

昭和初期のこの地方の資料には次のように記されている。

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精製された海栗の実に實にアルコールを一合につき二勺、塩は一升につき二合五勺まぜ瓶の中に入れコルクの栓をなし蝋付きにして密閉す、以前は焼酎につめて居たが腐敗し易きため今日はアルコールを用ふるに至つたのである。



製造後直ちに瓶に入れるときは上述の通ほりであるが冬期に此れを瓶づめして市場に出すには先づ實を塩につけて樽に入れ此れを密閉して瓶(カメ)に入れ地中に埋めて貯へ、瓶詰する時に、此れを取出してアルコールを加へずそのまゝ瓶につめて販賣するのである。
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瓶詰ウニに用いるアルコールと塩の量は、ウニの重量に対して20%のアルコール、塩分は総量の25%にあたる。(高い塩分!)

冬場はアルコールを使わず、塩漬けにしたウニを甕(かめ)に入れて地中に埋めて貯蔵し、出荷時にそれを瓶詰にした。




また、六連島では阪神東京に向けた瓶詰ウニが大いに繁盛する一方で、ウニの採集量が少なくなり、資源回復のために海岸の各所に沈石し繁殖を試みていることも記されている。


資料を読んでいると、昔のひとたちも一生懸命に水産資源の採集と保護の均衡を図ろうとしていて、今も昔もかわらない人々の暮らしを垣間見る感じがする。



参考:山口県うに共同組合「うに加工品の歴史」、『彦島大観(大正15)』、『関門地方経済調査. 第2輯 -六連島の雲丹に就いて-(昭和3)』


🥚


温めた牛乳に煎り雲丹と卵黄を混ぜ合わせて



茹でたスパゲティを絡める。



トッピングはいくらと青紫蘇と焼き海苔☆彡


明治時代に外国捕鯨船の乗組員がジンをこぼさなければ瓶詰ウニも違ったものになっていたかもしれないなぁ・・そんなことを考えながら 🤓

日本の食卓に うましかて!



マスカットのピクルスと帆立のカルパッチョ


シャインマスカット 英語:Shine Muscat
1988年(昭和63年)に農林水産省果樹試験場安芸津支場で「ブドウ安芸津21号」と「白南」を交配して育成された品種

♀安芸津21号
= ♀「スチューベン」×♂「マスカットオブアレキサンドリア」

♂白南
= 「カッタクルガン」×「甲斐路」


🍇


日本でマスカットというと「マスカット・オブ・アレキサンドリア」のことを指しているそうで、その「マスカット・オブ・アレキサンドリア(Muscat of Alexandria)」と、中央アジア原産の「カッタクルガン」の孫である。




「シャインマスカット」はジベレリン処理で種無しにできる。

祖父の「マスカットオブアレキサンドリア」はジベレリン処理で種なしにならないそうだ。


皮も食べやすくて丸ごと美味しい。😋



今回は数粒を試しにピクルスにしてみる。



スライスしたシャインマスカットを浅漬けの素+ワインビネガーに漬ける。



帆立の刺身と組み合わせてみようと思い立ち、シャインマスカットのピクルスをのせて塩をぱらりとかけてオリーブ油をたらしてみた。

まずまず改良の余地あり可能性はある☆彡


日本の食卓に うましかて!


新米おにぎり



今年はじめての新米おにぎり (*'▽')

つやつやふっくらと炊き上がったご飯にお味噌汁。
あぁ日本人だなぁとしみじみ思う。

🍙


♩ はじめチョロチョロ 中パッパ 
ブツブツいうころ火を引いて 赤子泣いても蓋とるな
そこへ婆さまがとんできて 藁を一束くべたとさ ♪




藁の火は、火力は強いが柔らかい。熾火(おきび)が長持ちするからで、竈(かまど)でご飯を炊くには最適の燃料であるという。

📚


天ぷらの神様といわれる「みかわ」の店主・早乙女哲哉氏の子供時代の話を紹介したい。(昭和21年生まれである)


小学校三年生から4~5年間、家の飯炊きは早乙女少年がこなしていた。食べものにうるさかった少年の父は、最後の一束だけでなく最初から最後まで藁で炊いたご飯を好んだ。

近所の農家から藁を分けてもらって重いリヤカーを妹と二人で引いて帰った。田舎の砂利道をエッチラオッチラと・・

1950年代、昭和30年頃のことだ。




早乙女家は昭和46年に家を建て替えた。

藁炊きにこだわった父は築200年の家にあったお勝手をそのまま残す。だがそれも、兄のところにお嫁さんが来たときには藁で炊くご飯はなくなった。


それから時がたって、病身になった父が久しぶりに藁で炊いた飯を食いたいと云った。それを叶えることができなかったのが今も心残り、と早乙女氏は回想している。


天ぷら道楽』早乙女哲哉(日本橋茅場町<みかわ>店主)





本を読んでいたら明治生まれの食通とともに藁で炊いたご飯、ひとつの食文化が消えたようで切ない気分になった。


🍚


竈でご飯を炊いていた時代、ご飯は一日に一回炊くのが一般的で、江戸は朝炊き、京都・大阪は昼炊きであったようだ。


出典:国立国会図書館デジタルコレクション「守貞謾稿. 後集巻1


近世風俗志『守貞謾稿』によれば、京都・大阪のお昼ご飯は炊きたてご飯に煮物や魚・味噌汁。夕飯と次の朝は冷や飯にお茶と香の物。

江戸では炊きたてのご飯を朝味噌汁と共に食べる。昼は冷や飯に野菜・魚肉などのおかず、夕飯は茶漬けに香の物、と記されている。


東西の食文化を考えるとき、朝炊き・昼炊きの違いは頭の片隅にとめておこう思う。🤓



《おにぎりの具はおかかと自家製梅干し》



今日は新米でおにぎり☆彡

幼稚園か小学校一年生だっただろうか、子どもの頃のお弁当には俵型のおにぎりが入っていた。

弁当箱が小さかったということもあるかもしれないが、三角形より俵型のほうが好きだった。

なぜなら三角形だと海苔のついていない白い部分が3つあるが、俵なら2つ。パクリとかじりついて白いところが少ない俵が好きだったのだ。


その頃使っていた弁当箱は楕円形のアルミ製で「みなしごハッチ」の絵がついていたように思う。

→ 昆虫物語みなしごハッチ
    第1話「負けるなハッチ」 🐝

 あらためて見てみたらといろいろと興味深い。


     ◇


おかかと梅干しのおにぎりに卵焼き、茄子と胡瓜のぬか漬けを添えて☆彡


日本の食卓に うましかて!



ハッセルバック茄子(鶏ひき肉づめ)



素材に切り込みを入れて間にチーズなどを挟んだ料理を「ハッセルバック××」というが、もともとはポテト料理。

ストックホルムのレストラン "Hasselbacken" のシェフLeif Elisson氏が1952年に考案した料理がハッセルバック・ポテト(Hasselback Potatoes)である。


🥔


今日は茄子を使って「ハッセルバック茄子」を作ろう☆彡

茄子に切り込みを入れていたら、片側にだけ切り込みをいれたこような形状を何というのだろう?と気になった。

「蛇腹(じゃばら)」ではない。



蛇腹は山折り谷折りの繰り返し構造になっていて、伸縮する。

例えば、ストローの折り曲げ部分の構造とか、昔のカメラのスプリングカメラとか、アコーディオンも蛇腹構造で、もしこれがハッセルバック方式だったらで押音と引音どちらか一方の音が出ないことになる。


出典:国立国会図書館デジタルコレクション「アコーディオン奏法附録」(昭和12)


料理の「蛇腹きゅうり」も両方向から切り込みを入れている。

「鞴(ふいご)」だろうか?と思うが、鞴でもない。


画像:Wikimedia commons「Bellows 2 (PSF) generalized


鞴(ふいご)は蛇腹の端っこを固定しているからハッセルバックとは違う。ハリセンも鞴と同じ構造だ。


そこでふと思い出したのが団扇(うちわ)の骨、これが一番近い。



《丸亀うちわ「骨士」の見事な技術》


ひとつの竹材から骨を切り出す「割き(わき)」と呼ばれる作業で、職人さんは特別に「骨師(ほねし)」と呼ばれている。

参考:新・さぬき野 かがわの技「丸亀うちわ



必要とされる技術の高さを横に置いておけば、形はハッセルバックの切り込みと同じだ。

でも、この構造そのものの名前は見つからない。


     ◇



今日は茄子のあいだに鶏ひき肉を詰める


《アルミホイルは転倒防止》


オーブンで焼きあがったら
パセリとピンクペッパーを添えて出来上がり☆彡


日本の食卓に うましかて!



過去Blog 👀
→ 「ハッセルバック・チキン(Hasselback chicken)」

  クックパッド動画もあるよ
  むね肉が豪華に変身!【ハッセルバック チキン】



東京の立ち食いそば風ゆば蕎麦



うどん県で生まれ育ったので大体において関西風の味つけが好きなのだが、東京・横浜で長く暮らしているうちに関東好みになったものが三つある。

ひとつは焼き海苔。
味つけ海苔より焼き海苔が好きになった。

ふたつ目は鰻の蒲焼き。
蒸してから焼いた関東風のほうがどちらかというと好き。

そして、三つ目は蕎麦。
鰹節と鯖節のパンチのきいた出汁に関東の醤油、薬味は白ネギ、この関東風の蕎麦がなにより好きだ。

     ◇

関西の蕎麦つゆはふんわり優しく甘い。

ゆえにときどき無性に関東風のそばが恋しくなる。

といっても、自分で蕎麦を打てるわけでもなければ、蕎麦つゆをスクラッチで作る自信もない。


そこで思いついたのが「立ち食いそば」 これなら再現できるはずだ!




🍜

立ち食いそば風にするには小麦粉の多い麺を選ぶ。

小麦粉のほうが多い「そば」って「そば」なのか?という気もするが、現在の法規定はゆるやかである。

生めんの場合は、そば粉の割合が30%以上とされている。

一方、乾めんの場合は30%以下でも「そば」と表示することができる。但し30%未満の場合は使用割合を表示しなければならない。

極端な話、そば粉が1%しか入っていなくても1割未満である旨を表記すれば「そば」を名乗ることができる。



《原材料の記載が「小麦粉、そば粉」の順》
つまり小麦粉の割合が多い


今も昔も蕎麦に一家言をもったひとは多い。とくに男性は蕎麦にうるさい。

蕎麦を味わうには十割蕎麦が一番という人もいれば、しなやかさとのど越しで二八蕎麦という人もいる。二八だからといって蕎麦の風味がないわけではないし、十割の良さは切れるところにこそある、という具合だ。


「二八」というのはその名の通り、小麦粉:そば粉=2:8で打ったそばで、江戸時代初期に考案された。


出典:国立国会図書館デジタルコレクション「守貞謾稿. 巻5


『守貞謾稿』によれば「二八そば」が登場したのは寛文4年(1664年)、当時の値段は16銭(2×8=16)であった。

その後、物価の上昇とともに20銭になり24銭へと値上がりする。24銭になったのに「三八そば」とは云わない、という皮肉もみえる。




江戸時代には「二八そば」は邪道扱いされていて、ちゃんとした手打ち蕎麦屋は二八のような駄そばは売らない、という。


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従来二八、後に二十四文の物を商うを駄蕎麦と云。駄は惣て粗を云の俗語也。駄にも行灯等には手打ちと記せども、実は手打ちと云は別に精製を商う店あり。真の手打ち蕎麦屋には二八の駄そばはうらず。
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出典:国立国会図書館デジタルコレクション「守貞謾稿. 巻5



二八ですらこの言われ様なので、江戸の粋人が今の立ち食いそばを食べたら何というだろう。

当時より食品の加工技術があがっているから、意外にも美味しいといったりして...

そんわけないか (*''ω''*)



茹であがった麺はなかなかいい感じ、立ち食いそば風である。

蕎麦つゆは何度か買い試してみて立ち食いに似たものを見つけた。



今日はゆば蕎麦☆彡
トッピングが白葱なら完璧な再現になったのだが。


日本の食卓に うましかて!《なつかしい😋》


※そばの表示に関する参考資料
 「品質表示基準一覧
 「食品表示基準における加工食品の表示方法等の作成方針について
 「生めん類の表示に関する公正競争規約
 「乾めん類の日本農林規格
 「乾めん類品質表示基準