おしながき

ライ麦パンのオープンサンドイッチ


たまに食べたくなるライ麦パン☆彡

初めて食べたときは酸味と風味にびっくりしたが、食べ馴れてみるとたまに食べたくなる。

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手軽に入手できるデルバ社(独)のライブレッド



輸入食材を扱っているお店なら比較的よく置いてある。

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ライムギ(ライ麦)学名:Secale cereale
イネ科の栽培植物

小アジアが原産地とされ、小麦にとって条件のよくない寒冷な気候や痩せた酸性土壌などでも育つ。


ライ麦の祖先は天山山脈(中央アジア)の西腹に野生する「山麦」という説がある。

大正時代に出版された『生物地学講話』にライ麦の説明があるので引用してみよう。(著者の横山又次郎氏はドイツに留学し古生物学を専攻、日本に初めて恐竜を紹介した人でも知られる)

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[ライ麦]
学名はセカレ・セレアレといふが、山麦(セカレ・モンタナ)の変化したものとの説がある。

此の山麦は天山の西腹に多く、又西部亜細亜や南欧でも数個所に野生して居る。或は天山から南欧に向いて蔓延したのかも知れぬ。

今日之を主食するのは独逸(ドイツ)と北欧とであるが、英(イギリス)と諾威(ノルウェー)とはさうでない。



出典:『生物地学講話』(大正14)

南欧では殆ど皆山腹にのみ之を作って、西国(スペイン)のシエラ・ネバダ山では、海抜二千五百米の辺まで作ってある。

欧州以外でやや多く之を作くるのは北部亜細亜のみである。
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この頃すでに英国とノルウェーではライ麦ではなく小麦が主流になっている。




また、昭和5年に出版された『経済地理学概論』には、欧州におけるライ麦生産の減少(一方で小麦の生産量は増加)についてその背景が記されている。

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小麦の生産高の増加に対して、ライ麦生産額の比率の低下することは、全く、食物採用標準の変化に原因し、黒パンの需要が減じて、白パンの要求が盛んになって来たためである。
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まず第一に人びとが黒パンより白パンを好んだことによる。



出典:『経済地理学概論』(昭和5)

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これと同時に、製粉法の改善が、小麦粉を高温多湿地方を通過して輸送できる様になったので、この輸送機関の発達が、ライ麦栽培地域に小麦を進出させ、これがために一躍、ライ麦の生産高が減少したのである。
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第二に製粉法の改善、そして、第三に輸送機関の発達による。




英国の産業革命が小麦製粉の動力を蒸気に変え、鉄道を生み出した。

技術革新は人々の食卓に変化をもたらすのだなあ。


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ライ麦パンにサワークリームを塗って


スモークサーモンやきゅうりをのせて☆彡


日本の食卓に うましかて!


干瓢(かんぴょう)と胡瓜の酢のもの


かんぴょう【干瓢/乾瓢】
ユウガオの白い果肉を細長くむき、干した食品。鮨 (すし) ・煮物の具にする。

出典:デジタル大辞泉「干瓢

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干瓢の生産日本一は栃木県、全国の9割を占める。

栃木県で干瓢作りが行われるようになったのは江戸時代中期のことで、近江国水口藩の藩主鳥居忠英が下野国壬生藩に国替えになったことに遡る。




近江国水口藩は現在の滋賀県甲賀市にあたる。

水口は東海道五十三次の50番目の宿場で、安藤広重の絵に干瓢作りの風景が描かれている。


出典:『東海道五十三駅風景続画』安藤広重画


1712年(正徳2年)鳥居忠英が下野国壬生藩に国替えとなった際に、水口から干瓢の種を取り寄せて壬生で栽培を始めたところ、その土地にとても適していたらしい。

参考:『とちぎ県民だより 2012(8月)』 かんぴょう伝来300年


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ユウガオ(夕顔)学名:Lagenaria siceraria var. hispida
ウリ科ユウガオ属の蔓性一年草

夏の夕方に白い花を開き、次の日の朝にはしぼんでしまう「夕顔」の花


出典:『畫本野山草[4]』橘保國畫圖(1800年代)

名前からすると「朝顔」「昼顔」の仲間のように聞こえるがそうではない。

「朝顔」「昼顔」はヒルガオ科の植物であるのに対して、「夕顔」はウリ科の植物。

大きな実のできるヒョウタンやヘチマの仲間だ。


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日本文学に夕顔を探してみれば、やはり『源氏物語』 が最初に浮かぶ。

第4帖「夕顔」

<光源氏と夕顔との出会い>


出典:『源氏物語五十四帖 夕顔』広重(嘉永5)



<扇に夕顔の花をのせて光源氏に>



 心あてにそれかとぞ見る白露の
    ひかりそへたる夕顔の花  (夕顔)

 寄りてこそそれかとも見めたそがれに
    ほのぼの見つる花の夕顔  (源氏)


どこか儚げで優しく可憐な夕顔は、光源氏との逢瀬の夜に魔性に憑りつかれて亡くなってしまう。


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紫式部が描いた夕顔のイメージとは対照的に、清少納言は『枕草子』のなかで次のように言っている。

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夕顔の朝顔に似て、言ひつゞたるも、をかしかりぬべき花の姿にて、にくき実のありさまこそ、いとくちをしけれ

などてさはた生ひ出でけん、ぬかつきなどいふものゝやうにだにあれかし

されどなほ、夕顔といふ名ばかりはをかし。
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参考:『趣味の園芸』金井紫雲(大正6) 『枕草子春曙抄 上』北村季吟(昭和22)


「ぬかつ(づ)き」は「ほおずき」のこと。

夕顔の花は朝顔に似ていて、朝顔・夕顔と言い続けても感じがいいのだけど、実の形はおしいわね。せめてほおずきの実のようだったらいいのに…


清少納言にそうは言われても… 夕顔はヒョウタンやヘチマの仲間だから大きな実がなるのは自然の摂理。


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さて、干瓢の下処理から☆彡



水でさっと洗ってから塩でもむ


こうすることで柔らかく仕上がるらしい。



鍋にお湯を沸かして干瓢を茹でて


好みの柔らかさになったらざるにあげる。



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今日は胡瓜と合わせて酢のものに☆彡

くにょっとした干瓢の優しい食感ときゅうりのしゃきしゃき感がいい。


日本の食卓に うましかて!


シーザーサラダ


シーザーサラダ【Caesar salad】
レタスを主にしたサラダ。ちぎったロメインレタスとクルトンをフレンチドレッシングで和え、粉チーズをかけるのが基本型。好みでドレッシングにアンチョビーを混ぜたり、他の野菜を混ぜたりする。

[補説]
「シーザー」は、ローマの将軍の名ではなく、考案者であるメキシコのレストランの料理人の名からという。
出典:デジタル大辞泉「シーザーサラダ

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辞書の補説にあるように、シーザーサラダのシーザーは古代ローマのユリウス・カエサルではなく、このサラダを考案したシーザー・カルディーニ(Caesar Cardini)氏に由来する。

1920年代、カルディーニ氏はアメリカ国境に近いメキシコの町ティフアナでホテル&レストランを営んでいた。

当時のアメリカは禁酒法が施行されていて酒を飲むことが出来ない。そのため合法的に飲酒できる環境を求めて人々はティフアナへとやって来た。

ハリウッドからもまた大勢の人々が訪れたからティフアナの町は大変な賑わいをみせていた。(地図の赤いピンがハリウッド)


出典:Google MAP

1924年のアメリカ独立記念日(7月4日)の日も大いに繁昌していたカルディーニ氏のレストランだったが、客が多すぎて食材が底をついてしまう。

そこでありあわせのもので作ったサイドディッシュがシーザーサラダ。🥗

参考:Wikipedia「Caesar salad」「Caesar Cardini


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禁酒法の時代というと映画の『ゴッドファーザー』や『アンタッチャブル』に描かれる世界しか思い浮かばないが、当時のアメリカを旅して実際の世相にふれた日本人女性がいる。

1929年(昭和4年)12月から1932年(昭和7年)にかけてヨーロッパ・アメリカを家族で旅行した小説家で歌人の岡本かの子氏。

ちなみに同行した長男は岡本太郎氏。



そのときの見聞を『世界に摘む花:物語的紀行文集』として昭和11年に出版している。




かの子がアメリカを訪れたのは1932年だから、禁酒法が廃止される前年にあたる。

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アメリカの禁酒法は名ばかりで、金さへあればいくらでも飲めるとは聞いてゐたが、実際行ってみて驚いた。

紐育(ニューヨーク)の日本料理屋へ行ったら隣のテーブルで日本の紳士が純日本製の燗徳利から晩酌を傾けてゐた。而も禁酒法の存在など全く忘れたやうに、平然と落付き払ってゐた。

ブロードウェーを散歩して見ると、食器店や貴金属店の飾窓(シャウウインドウ)には白耳義(ベルギー)の見事なカットグラスや、純銀製のホイスキーセットが傲然と輝いてゐる。

   (略)

シカゴでミシガン湖畔の大きなホテルへ泊まった時、一夜大広間から大変な賑ひが聞こえるのでちょっと覗き見たらこれまた何と盛大な酒宴ではないか。

数百名の紳士淑女がシャンパンを床に流すほどの狂躁は飲酒国の饗宴以上であった。

シカゴと云へばアル・カポネの本所だけあって、あのシャンパンも多分アル・カポネの金庫を太らせた一部分かも知れない。

私はこの宴会中ホテルの四方の入口に頑丈な私服刑事が張番してゐるのを見た。刑事に張番させて酒宴をしてゐるところは全くアメリカ的だと思ふ。
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出典:『世界に摘む花:物語的紀行文集』岡本かの子(昭11)



かの子の好奇心の目は街のあちこちに向けられる。

禁酒法実施のためにかかる政府費用が年間1千万ドルを超えるとか、英国では一箱10ドルのスコッチウイスキーがアメリカでは35~40ドルになること、アメリカで売られている日本酒は日本からの密輸ではなくアメリカで醸造したものだとか、ニューヨークの日本料理屋では堂々と燗徳利で飲んでいるがハワイでは土瓶を使っているとか、パリへ旅行に出かけるアメリカ人にはホテルとバーを往復するだけで何一つ見物せずにいる者が少なくない、等々

旅行記として楽しいのはもちろん、歴史の記録としても興味深い。

ここで全文を読めるのでよかったら見てね。👀
→ 「アメリカの禁酒法」 岡本かの子


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さて、サラダ作り☆彡

まずはクルトンから


賽子状に切ったフランスパンにオリーブ油をまぶしてオーブンで焼く。

ドレッシングは


ディジョンマスタード、アンチョビ、にんにくのすりおろしに、レモン果汁を加えて、


マヨネーズ、すりおろしたパルミジャーノ・レッジャーノをたっぷり加え


塩と胡椒で味を調えたら



あとはレタスとクルトンを盛り付けたら出来上がり☆彡


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鱸(すずき)のアクアパッツァ風


スズキ(鱸) 学名:Lateolabrax japonicus
スズキ目スズキ科に属する海水魚

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鱸は成魚になるにつれて名前が変わる出世魚で、一般的に「セイゴ」「フッコ(ハネ)」「スズキ」と変化する。


江戸時代の辞書『倭漢三才図会』にも「世伊古(せいご)」「波禰(はね)」とある。

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すずき 鱸 ロウ 四鰓魚 和名 須々木
小なる者 波禰(はね)と名づく
尚を小さき者を世伊古(せいご)と名づく
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出典:『倭漢三才図会 105巻首1巻尾1巻[34]』寺島良安編


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鎌倉時代に書かれた『平家物語』では平清盛の出世のシンボルとして鱸が描かれている。


平家物語 第一巻 鱸(すずき)


出典:『平家物語 12巻[1]』(元和9)

平清盛がまだ安芸守の頃、伊勢の安濃津(あののつ)から舟で熊野参詣に向かっていたら大きな鱸が飛び込んできた。


出典:『平家物語12巻[1]』(明暦2)


先達たちは
「昔 周の武王の船にこそ白魚は躍り入ったるなれ いかさまにも是は権現の御利生と覚え候」という。



出典:『平家物語12巻[1]』(明暦2)


十戒を保ち精進潔斎の道の清盛だったが、自ら調理して家の子郎党とともに食べたところ、その御利益か吉事が続き清盛は太政大臣へと登りつめる。


《舟に飛び込んできた鱸を調理する平清盛》

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その故にや 吉事のみ打ち続きて 我が身太政大臣にいたり 子孫の官途も龍の雲に上るよりは猶速かなり

九代の先蹤を超え給ふこそめでたけれ
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出典:『平家物語講義 第1冊』(明33,34)


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瀬戸内海で育ったからか鱸(すずき)はとても身近な魚で、季節によっては鯛より鱸のほうが美味しいと思っていた。



今日は台風一過で空も高く、残暑はしばらく続きそうだが鱸の季節も夏とともに過ぎていく。


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さて調理☆彡


塩をしてしばらく置いた鱸をオリーブ油とにんにくでソテーして


脇でズッキーニを炒めながら、トマトを加えて


水、白ワイン、スープの素、


ケイパーを加えてコトコトと


15分ほど煮込んで


塩で味を調えたら出来上がり☆彡


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コールスロー


コールスロー【coleslaw】
キャベツをせん切りにしてドレッシングであえたサラダ。

出典:デジタル大辞泉「コールスロー

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英語の「coleslaw」はオランダ語の「koolsla」(キャベツサラダの意)からきているそうだ。

子どもの頃にはさほどポピュラーでもなかったように思うコールスローも今ではすっかり定番のお惣菜。

いつ頃から日本で食べられているのだろうと思って調べてみると、大正時代の本に「コールスロー」のレシピが見える。


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キャベージの葉六枚程を清浄に水洗いたし、硬き筋の部分を除き一寸位に載り小口より出来得る丈け細く線に載り、水の中へ一時間程漬けて灰汁を抜きまして堅く水気を搾って丼に入れておきます。



それからお鍋の中に茶匙に半分程の塩と同分量のカラシ及砂糖、バター大匙二杯、牛乳三勺を共に入れて火に架け攪拌しながら煮込み、沸騰いたしました時に鍋を下ろし玉子一個を手早く攪拌しながら混合せ、再び火に架け玉子が半熟の加減に火が通った時に鍋を下ろし酢二勺を加へよく混合せまして裏漉にかけて、濾出して之にて前のキャベージを和へて供するのでございます。
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出典:『新式和洋家庭料理』赤堀峯吉 赤堀菊子著(大正3)


現代語に要約すると

1. 水洗いしたキャベツの葉のかたい筋の部分を除いて、長さ一寸(3.3cm)の千切りにする。
2. 鍋に塩、マスタード、砂糖、バター、牛乳を入れて温める。
3. いったん鍋を火から下ろして卵を入れてかき混ぜ、再び火にかける。
4. 卵が半熟加減になったら鍋を火からおろし、酢を加えてよくかき混ぜる。
5. これを裏ごしして、1と和える。

加熱するドレッシングの作り方は、冷蔵庫がないことを思えば安全な方法だ。

このレシピ、次の機会に試してみよう。


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この本が出版されたのは大正3年(1914年)のことで、ちょうど東京駅が完成した年にあたる。

今では想像もつかないが、東京駅が出来る前はこの辺りは「三菱が原」と呼ばれる草地だった。


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日本の帝都、大東京の表玄関、東京駅前の光景です。草茫々の三菱ヶ原に、故辰野金吾博士の設計で建築されたのが大正三年、爾来僅か十有余年の間に三菱ヶ原は見る見るうちに大建築が比してしまった。



先ずこの写真を説明しようなら、左手は東京駅、その前に群がっているのが円タク、右の角が三菱の経営する丸の内ビルディング、この中で五千人近い男女が、月末のサラリーに向かって毎日突進している。

東京駅が呑吐する人員毎日十二万人、汽車客、省線電車で通勤のサラリーマンなど。




その人の波を縫って電車、自動車が縦横に走る。

ここから三越の赤自動車、白木屋の白自動車が、無料で、そして極めて丁寧に各々の店まで乗せて行ってくれる。
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出典:『大東京寫眞帖』出版年不明


写真を眺めていると人々の活気と喧騒が聞こえてくるようだ。風景は違っていても本質的なことは変わらないのだなあ。

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さて、コールスロー作り。



キャベツ、きゅうり、にんじん、ハムを千切りにして



市販のマヨネーズ、酢、砂糖、塩、こしょうと合わせたら出来上がり☆彡


日本の食卓に うましかて!