
かまめし【釜飯】
一人前用の小釜で、魚・貝・鶏肉・野菜などの具を取り合わせて酒・醤油などで味付けして炊いた飯。釜のまま供する。
出典:デジタル大辞泉(小学館)「釜飯」
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釜飯というスタイルが登場するのは関東大震災が契機となっている。

食の研究家でもあり、テレビ料理教室の草分けでもある多田鉄之助氏は次のようにいう。
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大正十二年九月一日午前十一時五十八分勃発した関東大震災で、東京の主として下町は火事のために焦土に帰した。台東区浅草の隅田川に面した地区では、三日後には何か道行く人の食欲を充たすための屋台店が並んだが、初めはスイトンに始まり、間もなく出来たのが、釜飯である。焼け残りの釜を用いて混ぜ飯などを売ったのである。
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当時、釜飯屋は吾妻橋周辺に多く立ち、そのなかのひとつ「釜めし春」が小さな釜を使って同時に20~30人分を炊く仕組みを考案し大繁盛したのだという。
出典:『味の日本史』-スイトンから釜飯へ- 多田鉄之助

多田鉄之助氏は1896年生まれだから関東大震災のとき27才。
東京の下町(根岸)の出身でもあるから、釜めし登場を目の当たりにした正確な記憶なのだと思う。
現在も「釜めし春」は釜めし専門として繁盛している。実に100年である。
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震災復興から生まれた釜めしは、やがて百貨店の食堂メニューにも登場するようになる。

与謝野晶子氏は高島屋の地下の食堂の釜めしが大好きで、釜めしを食べたことのない次男の嫁をこう言って誘った。
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料理としてはげてものですが、変わっているので、ときたまはたいへんおいしく食べられます。あなたもきっと好きですよ。
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出典:『どっきり花嫁の記』与謝野道子

晶子氏が「料理としてはげてもの」といったのは、釜から直接茶碗にご飯をよそうのはみっともないという感覚があったからだろう。
釜で炊いたご飯は飯櫃に移して食卓に供されるものだったから、今の感覚なら煮炊きしたフライパン・鍋そのままを食卓に載せる感じに近いだろうか。
とはいえ、美味しさは行儀作法にまさる。
駅弁の釜飯をはじめ全国に釜めしスタイルが広まっていった。
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今日は炊き込みご飯を釜飯スタイルで、茗荷と胡瓜の浅漬けを添えて☆彡

日本の食卓に うましかて!