オクラ(秋葵) 学名:Abelmoschus esculentus
アオイ科トロロアオイ属の植物、またはその食用果実
原産地はアフリカ北東部、エチオピアとされる。
和名を「亜米利加ねり(アメリカネリ)」という。
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日本に来たのは明治初期。
1909年(明治42年)に刊行された『西洋野菜の作り方と食べ方』に「亜米利加ねり(オクラ)」として紹介されているので、引用してみよう。
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オクラは一見日本の綿に似たものでありますが、葉も花も背の丈けも、綿よりはズット大きく、又全く使へ道の違ひますので、花が咲きましてから出来る、豆の様な青い細長い莢を、蔬菜として食べるものであります。
そしてオクラは一種爽快な味のある、上品な野菜でありますが、未だ我國に餘り多く作られてありません。
然し此後追々と流行することは疑ひのない所であります。
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<食べ方>
一
莢の若い中にとりまして、バタで烙めるか又は煮て食べますに、粘り氣のある佳味なものであります。
二
莢を細かに刻んで、スチウなどの汁の料理に入れて用ゐますに、至極上品なものであります。
三
糠漬、味噌漬などにも宜しいです。
四
充分熟しました實を煎つて粉にし、珈琲に代用することも出来ます。
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出典:国立国会図書館デジタルコレクション「西洋野菜の作り方と食べ方」
110年前とは思えない。文体は違えど今も十分に通用する内容だ。
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一方、檀一雄氏によるとオクラのことを「ハタケレン(畑蓮)」と呼んでいたらしい。
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オクラは、私の幼年の頃……(つまり五十年のむかしから)もう、日本に移植されてあり、ハタケレン(畑蓮)、ハタケレン、といって珍重したものである。
オクラを食べる時には、そのネバリが一番有難い。トロロと同じような、口中のヌルヌルを、青い野菜として、口にできるのが嬉しいわけである。
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『檀流クッキング』-秋から冬へ- 檀一雄
檀一雄氏は1912年(明治45年)の生まれであるから、幼年期といえば1920年(大正9年)頃だろうか。
場所は山梨県南都留郡谷村町(現在の都留市下谷)である。
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今日はみそ汁の具に☆彡
日本の食卓に うましかて!