いもづる(すいおう菜)のごま和え


近所のスーパーに地元産の珍しい野菜が売っていた。ラベルには「すいおう菜(いもづる)」とある。

調べてみると、茎葉をおいしく食べられるように改良した新しいサツマイモの品種「スイオウ」であるらしい。



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サツマイモとか芋の蔓(つる)と聞くと、戦中戦後の食糧難を思い出す。

といっても私にその経験があるわけではないが、様々な本から当時の状況を知ることができる。




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戦後間もない頃に出版された『芽の味覚』は、野外植物(雑草)をどのようにして食べればいいか?を説明してくれる。

この本が執筆されたのは1946年(昭和21年)冬、深刻な食糧不足の真っ只中である。

まえがきに、東京・奥多摩でユキワリソウを食べた一家5人が重症となり、うち4人が死亡したという新聞記事が紹介されているのが痛ましい。


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戦後の食糧不足の要因は経済封鎖、エネルギー不足、国内輸送の機能停止など色々あるが、そもそも敗戦の年は凶作であった。


冷夏に加えて2つの台風が日本を縦断する。


枕崎台風(昭和20年台風第16号)

画像:Wikimedia commons「枕崎台風の進路図

超大型の台風で、最低気圧916.1hPa、最大風速は枕崎で40.0m/s、宮崎・細島灯台で51.3m/sを記録した。(死者2,473人、行方不明者1,283人、負傷者2,452人)

先月8月に近畿地方に大きな被害をもたらした台風21号 が最低気圧915hPa、最大風速55m/sであるからほぼ同じ強さだ。


1ヵ月もしないうちに次の台風が来る。

阿久根台風(昭和20年台風第20号)

画像:Wikimedia commons「阿久根台風の進路図

枕崎台風とほぼ同じルートを通ったため農作物への被害は深刻だった。


この影響で米の配給は「二合一勺」が継続される。

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二十一年度 破局的な絶対量不足
二十年産米が二回にわたる風水害で従来稀な凶作数字におち込んだため食糧難はいよいよ拍車をかけられ二十年七月より十月迄暫定措置として採られた配給基準量の一割節減は十一月の新年度入るも復元されず二合一勺の飢餓的配給が踏襲された。
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出典:国立国会図書館デジタルコレクション「朝日経済年史. 昭和20年・21年版


この量について補足すると、米の配給制度が始まる以前は一人一日三合(430グラム)の米を消費していたのが、1941年(昭和16年)の配給では二合三勺(330グラム)、敗戦直前の1945年(昭和20年)7月には1割が削減されて二合一勺(300グラム)になっていた。


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堅い話になってしまったが『芽の味覚』が出版されたのはそういう時代である。


さつまいも 🍠
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若葉は直ちに摘んでゆで、煮物になるし、他の魚類などに付け合わせてもよく味噌汁の実などには直ぐに間に合う。

葉はまた乾燥して貯蔵することが出来るし、粉末にしたものは、小むぎ粉に混ぜ、団子にして主食の補助とすることが出来るし、蔓や葉柄もゆでて乾燥すればよく保存に堪え生のまま乾燥しても貯蔵出来て、十二月頃の野菜欠乏期を凌ぐことが出来る。

  百舌鳴くや甘藷の蔓乾す荒筵  冬朴
  もずなくや かんしょのつるほす あらむしろ

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出典:国立国会図書館デジタルコレクション『芽の味覚


時代が時代だから本に挿し絵はない。

食用の可否と調理方法だけでは無味乾燥したものになる… ということで、雑草のひとつひとつに和歌や俳句が添えられている。

少しでも美味しく楽しく伝えたいという著者の心配りだ。




1949年(昭和24年)頃になってようやく厳しい食糧難から抜けるものの、その後も長く続く戦後復興を考えると本当に大変だことだっただろうと思う。


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あれこれ調べながら資料を読んでいるうちについ話が長くなった。。 (・_・;)


品種改良されたクセがなく食べやすいすいおう菜
いもづるをさっと茹でてごま和えに☆彡



日本の食卓に うましかて!



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