おいしい料理を作るコツ (6)

前回からのつづき)



「おいしい料理を作るコツ」を書き始めてみたら、書きたいことがあり過ぎて順序がまとまらず・・ 前回からすっかり時間があいた。

年末年始に本を読んでいたら先人たちの厳しい言葉が心に突き刺さったので、それらをメモしておこうと思った。( ..)φ


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北大路魯山人氏が手厳しいのはいつものことだが、ふだんは穏やかな辻嘉一氏がたまに激しい表現をするとよほど腹に据えかねたのだろうと驚かされる。(ときに「エサ」という表現も・・)


まずは魯山人。

魯山人らしい辛辣な言い様だが、ラジオ・テレビがネットになっただけで本質は変わらない。

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料理を味わうにも、三等生活、二等生活、一等生活、特等生活と、運命的に与えられている生活がある。またそれに従って作るところの料理がさまざまである。

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貧乏国になった日本料理、それが生んだ料理研究家の料理、毎日ラジオ、テレビで発表されている料理。これが貧乏国日本の生んだ料理研究であり、栄養料理の考えである。

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一顰一笑(いっぴんいっしょう)によって愛嬌をまき、米を得んとする料理研究家がテレビに現われて、一途に料理を低下させ、無駄な浪費を自慢して、低級に生きぬかんとする風潮がつのりつつある。

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もともと日本料理の中で生まれたわけではないから、現今のごとく低級の谷へ谷へと下降しつつある。このあり様さまは見るに忍びない。内容の重きに注意せざる者は、勢い外表のデザインのみに走る。

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手をかけなくても栄養も摂とれ、美味でもあり、見た目も美しいものを、いたずらに子供を騙だますような料理をつくることは、料理人の無恥を物語るものであろう。

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味に自信なき者は料理に無駄むだな手数をかける。

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低級な食器にあまんじている者は、それだけの料理しかなし得ない。こんな料理で育てられた人間は、それだけの人間にしかなり得ない。

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料理といっても数々ござる。料理屋の料理、家庭料理、富者の好む料理、貧者の料理、サラリーマン級の料理、都会料理、田舎料理、老人好み、若人好み、少年少女向き、病人向き……。すべからく料理をつくる者は、この別を心得、いやしくも自分の好みだけを押しつけてはならない。

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これほど深い、これほどに知らねばならない味覚の世界のあることを銘記せよ。

「綺麗に盛りつけます」という言葉に誘われて、食器はと見れば、これまたガラクタばかり。食器は料理の衣裳だということを、ご婦人講師さんとくとお考えあれ。

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『味覚馬鹿』北大路魯山人
青空文庫で全文を読めるので読んでみてね


低級低級といわれると反撥したくなるが「低級」を「手抜き」に読み替えると耳が痛い。(・_・;)

今の世の中、便利になり過ぎて、手抜きをしようと思えばきりがない。どこで踏みとどまるかは人それぞれ個々の判断だ。

必要カロリーと栄養素を摂取するだけなら栄養調整食品に頼るのがいっそ合理的といえる。



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1965年(昭和40年)辻嘉一氏
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小粒の丸薬やチューブ入りの合成食を口にすれば、一週間分の栄養は十分といった時代が、間もなく訪れるかも知れません。

そうなったときにも、おいしいものが食べたいという食物に対する趣味性をまったく無視できるかどうか甚だ疑問だと思います。
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『懐石傳書 煮たもの』辻嘉一



半世紀を経て、前者と後者は二極化しつつ共存している。

後者の「趣味性」はますます洗練されて(ゆえに必然的にグローバル化されてもいて)、美味しい料理を食べる(作る)ことは必ずしも伝統や伝承とは関係ないところで高度化している。



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また、分量至上主義的なレシピの氾濫と時短手抜きに対して、辻嘉一氏にしてはめずらしい辛辣さで苦言を呈している。

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日本人が祖国の料理に後生大事に分量調味を実行している情けなさは、もうやめて欲しいと思います。

敗戦の結果、自信喪失が食べものにまで及び、敗戦食と名づけてよいほどのていたらくぶりが依然と残っております。

分量調味の悪習は、その一番みじめなあらわれです。これが続くと数字を大切に思い込み、自分の味覚を信じなくなって、応用創作の美味が生まれないのですから悲しいことです。
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『懐石傳書 椀盛』辻嘉一

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料理する時間の短縮イコール文化生活だと思い込んでおられる方があります。

そのせいでしょう、食べものの世界に、既製品が日毎に増えて行く有様は歎かわしいほどです。既製品の中には、愛情も感情も入っていないことはご承知のとおりです。
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食べるものは、空腹を満たすだけで事足れりといったものではありません。満腹即美味だけで世を送るのは悲しいことと言わねばなりません。心を養うものでなければ料理という名に価しません。飢えを満たすだけの食べものをエサと呼びます。
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『懐石傳書 煮たもの』辻嘉一


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味覚は主観的で二人の言葉の受け止めも人それぞれだと思う。

「料理を味わうにも、三等生活、二等生活、一等生活、特等生活と、運命的に与えられている生活がある。またそれに従って作るところの料理がさまざまである」 魯山人の言い方には棘があるが、現代に置き換えれば生活の優先順位ともいえる。

限られた時間とお金を何にあてるか、選択と集中だ。もちろん上を見ればきりがなし、下を見ればきりがなし。

昔とちがって人生のかなりの部分が選択自由な時代だから、自由だからこそむずかしい。そんな気がした年末年始であった。


つづく




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