新米おにぎり



今年はじめての新米おにぎり (*'▽')

つやつやふっくらと炊き上がったご飯にお味噌汁。
あぁ日本人だなぁとしみじみ思う。

🍙


♩ はじめチョロチョロ 中パッパ 
ブツブツいうころ火を引いて 赤子泣いても蓋とるな
そこへ婆さまがとんできて 藁を一束くべたとさ ♪




藁の火は、火力は強いが柔らかい。熾火(おきび)が長持ちするからで、竈(かまど)でご飯を炊くには最適の燃料であるという。

📚


天ぷらの神様といわれる「みかわ」の店主・早乙女哲哉氏の子供時代の話を紹介したい。(昭和21年生まれである)


小学校三年生から4~5年間、家の飯炊きは早乙女少年がこなしていた。食べものにうるさかった少年の父は、最後の一束だけでなく最初から最後まで藁で炊いたご飯を好んだ。

近所の農家から藁を分けてもらって重いリヤカーを妹と二人で引いて帰った。田舎の砂利道をエッチラオッチラと・・

1950年代、昭和30年頃のことだ。




早乙女家は昭和46年に家を建て替えた。

藁炊きにこだわった父は築200年の家にあったお勝手をそのまま残す。だがそれも、兄のところにお嫁さんが来たときには藁で炊くご飯はなくなった。


それから時がたって、病身になった父が久しぶりに藁で炊いた飯を食いたいと云った。それを叶えることができなかったのが今も心残り、と早乙女氏は回想している。


天ぷら道楽』早乙女哲哉(日本橋茅場町<みかわ>店主)





本を読んでいたら明治生まれの食通とともに藁で炊いたご飯、ひとつの食文化が消えたようで切ない気分になった。


🍚


竈でご飯を炊いていた時代、ご飯は一日に一回炊くのが一般的で、江戸は朝炊き、京都・大阪は昼炊きであったようだ。


出典:国立国会図書館デジタルコレクション「守貞謾稿. 後集巻1


近世風俗志『守貞謾稿』によれば、京都・大阪のお昼ご飯は炊きたてご飯に煮物や魚・味噌汁。夕飯と次の朝は冷や飯にお茶と香の物。

江戸では炊きたてのご飯を朝味噌汁と共に食べる。昼は冷や飯に野菜・魚肉などのおかず、夕飯は茶漬けに香の物、と記されている。


東西の食文化を考えるとき、朝炊き・昼炊きの違いは頭の片隅にとめておこう思う。🤓



《おにぎりの具はおかかと自家製梅干し》



今日は新米でおにぎり☆彡

幼稚園か小学校一年生だっただろうか、子どもの頃のお弁当には俵型のおにぎりが入っていた。

弁当箱が小さかったということもあるかもしれないが、三角形より俵型のほうが好きだった。

なぜなら三角形だと海苔のついていない白い部分が3つあるが、俵なら2つ。パクリとかじりついて白いところが少ない俵が好きだったのだ。


その頃使っていた弁当箱は楕円形のアルミ製で「みなしごハッチ」の絵がついていたように思う。

→ 昆虫物語みなしごハッチ
    第1話「負けるなハッチ」 🐝

 あらためて見てみたらといろいろと興味深い。


     ◇


おかかと梅干しのおにぎりに卵焼き、茄子と胡瓜のぬか漬けを添えて☆彡


日本の食卓に うましかて!




コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)