零余子(むかご)ご飯


むかご(零余子、珠芽)
葉の付け根にできる芽が栄養分を貯めて球状となったもの。

そもそも「むかご」って何?興味あれば過去Blogを見てね →「むかごご飯」👀


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今日は文学のなかの零余子探し☆彡

行く川のながれは絶えずしてしかも本の水にあらず… で始まる『方丈記』、鎌倉時代に鴨長明が著した日本三大随筆のひとつである。

ここに零余子(ぬかご)が登場する。


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また麓に、一つの柴の庵あり。すなはちこの山もりが居る所なり。かしこに小童あり、時々來りてあひとぶらふ。もしつれづれなる時は、これを友としてあそびありく。

かれは十六歳、われは六十、その齡ことの外なれど、心を慰むることはこれおなじ。あるはつばなをぬき、いはなしをとる(りイ)。またぬかごをもり、芹をつむ。或はすそわの田井に至りて、おちほを拾ひてほぐみをつくる。
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青空文庫 『方丈記』鴨長明


庵にやってくる十六歳の小童とともに、ちがやを抜き、岩梨を採り、零余子を盛って、せりを摘む。鴨長明六十歳である。



出典:国立国会図書館デジタルコレクション「本草図譜. 47


見た目も味わいも地味で洒脱な存在 むかご
「零余子」というだけで秋のひなびた風情を感じさせてくれるから俳句にも多く詠まれてきた。


・菊の露落ちて拾へば零余子かな 芭蕉

・ほろほろとむかご落けり秋の雨 一茶

・零餘子こぼれて鶏肥えぬ草の宿 鬼城

・手一合零余子貰ふや秋の風 芥川龍之介

・すり鉢にすこしばかりの零余子かな 寺田寅彦


長谷川零余子(はせがわれいよし)、零余子を俳号に用いたひともいる。




また、道歌にも詠まれる。が、道歌であるだけになかなか世知辛い。 (';')

 引っ張れば切れて向こうへ飛ぶ零余子
   蔓もあてにはならぬ世の中

道歌清談』八波則吉(昭和11)


金づる・縁づる、蔓(つる)を当てにしていはいけない、あてになるのは自分の力、自ら策を講じるべし、といっている。


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今日はむかごご飯☆彡



辻嘉一氏の「むかごご飯」によれば
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とびきりおいしいというものではありませんが、俳味があって洒落た旨味をもっています。

 (略)

むかごを米に対して二割まぜ、塩味で水から一緒に炊き上げたものです。

むかごの薄皮は擂鉢に水をすこし入れて、掌でくるくると廻しながらむことができます。

赴く秋を惜しむ風流な炊き込み御飯です。
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わが家ではいちども皮を剥いたことがない。。


日本の食卓に うましかて!

 まろうどにさめてわりなしむかご飯 鬼城




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