鯛の昆布じめのからすみ和え



最近気に入っている食べ方のひとつ。

昆布〆の鯛に焼いたからすみをおろしかけて、これに醤油をちょっとつけて、炊きたてのご飯とともに食べる。

アツアツのご飯に美味しい刺身は何よりのご馳走で、自分でいうのもなんだが「あぁ日本人だなぁ」と思う。

     ◇

鯛の刺身について、とても印象に残っている話がある。

戦後間もない頃、関西に旅したときの出来事をつづった辰巳浜子さんのエッセイで、「敗戦、戦後、旅、春、明石鯛。長かった戦争の苦しみ、悲しみ、不安、そんな諸々の迷いのなかからハタとわれにかえった気付薬」になったと回想している。



《大和路・室生の春》

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焼野の原と化した東京、バラックの掘立て小屋、落着きを失って目ばかりギョロギョロ光らせる群衆。無気力な人のかたまり、横行する闇屋、地面を見回して棒の先のくぎに素早く突きさすモクひろい。恥もなく外聞も忘れて、ただその日一日を生きるのが精いっぱいの人々。

”日本はどうなるのだろう” 考えあぐんだ私にとって、戦禍を蒙らなかった松阪、伊賀上野、中川を経て伊勢路、大和路の旅で、微動だもせぬ、静かさと美しさが、しだいにたくましさを感じさせ、それは不思議な安堵と落着きをひきもどしてくれました。



小高いみどりの山のふところに薄紅の桃の花の丘がつづき、麓は一面真黄色の菜の花畑に彩られ、目のさめるようなうららかな霞の春。

   (略)

”ああ、日本はこんなにも美しくちゃんとあったではないか。あの絵本と少しも変らずそのままの姿があるではないか” 万感胸にせまって、泪で里の景色はかすむばかりでした。

先の見通しなど皆目わからぬ不安に常におののきつづけていた心は、なんのためらうこともなく、希望を失わず、元のままの日本人に立ち返ればいいのだ、あの丘のように、うららかな心を取りもどせばいいのだと……。

戦後初めての旅で、ハタとわが心を取りもどせた動機となったのです。
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辰巳浜子さんは1904年(明治37年)の生まれだから、このとき40代半ばぐらいだろうか。戦時中は夫の転勤で名古屋に住んでいたが、終戦年の9月に実家の東京・目黒に戻っている。当時の多くの日本人と同じように大変な苦労があっただろう。

そんな彼女に自信を取り戻させたのは、戦前と変わることのない昔ながらの美しい伊勢路・大和路の風景であった。



《いちめんに咲く蓮華草・明日香村》



そして、大阪。

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その感激をのせたまま大阪に着き、宿の夕餉にお膳にはこれまた久しぶりの明石鯛のお作りとご対面でした。

湯引かれた桃色の鯛の皮はちぢれて、透き通ったお作りは思いなしかふるえているかのように見えました。

うどのつまに芽じそ、花おち胡瓜が露をふくんだ風情のうれしさに、思わず赤絵の鉢を手にうけて、幾年ぶりかで日本人に返った喜びにひたりました。




姑にも娘にも息子にも、妹たちにも、食べさせてやりたい人たちの顔が次々に浮び上って、申し訳ないやら有難いやら、ひと切れひと切れを大切にいただきました。

あふれるような食べものに埋っている今日もなお、あの時の思いは物の有難さ、もったいなさを、しっかりと全身で受け止めた尊い教えになって、生活のなかに生かしつづけております。
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料理歳時記』辰巳浜子


鯛の刺身もさることながら、その盛りつけの美しさが目に浮かぶようだ。

赤絵鉢の赤、湯引き鯛の白、うどの白、芽じその濃赤紫、花落ち胡瓜の緑と黄、露をふくんだ風情。



《幾年ぶりかで日本人に返った喜びにひたりました》


《元のままの日本人に立ち返ればいい》



「微動だもせぬ、静かさと美しさが、しだいにたくましさを感じさせ、それは不思議な安堵と落着きをひきもどしてくれました」

それが歴史や伝統がもつ力なのかもしれない。


🌸


千円ほどの手頃な値段の鯛も、昆布〆にすると驚くほど美味しくなる。



そして、トースターで炙ったからすみでさらなる旨味を添える。



食べるときにはお醤油をちょっとつけて☆彡


日本の食卓に うましかて!



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