ポテとカレーとカレーうどん(後編)

前編


ポテを作ったときの最後の〆はカレーうどん☆彡

わが家の「カレーうどん」は丼の底にカレーライスをしのばせた「カレーライスうどん」🍛

底にしのばせるご飯は予めルーと合わせてアツアツにしておいて、上に乗せるうどんは稲庭うどん☆彡

この組合せが気に入っている。

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もう随分と昔になるが、目黒の不動前駅の近くで「おじやうどん」を食べたことがある。

何だろう?と思って頼んでみたら鍋焼きうどんにご飯が入っていた。東京なのになぜか関西風のだしがきいててとても美味しかった。

ネットで調べたら今も健在で嬉しい(丸福)。

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ご飯と麺が混在した料理は「おじやうどん」以外に見かけないが、歴史のなかに探してみると戦時中に登場する。



当時の婦人雑誌に次のようなレシピが紹介されている。

●シチュー雑炊
配給肉の脂身とあり合わせの野菜で作ったシチューにうどんとご飯を入れる。味つけは塩と胡椒。

●うどん雑炊
煮干しだしにあり合わせの野菜、細かく折ったうどんを加えて軟らかくなったら味噌を溶いてご飯を加える。

●うどん焼き
うどんを細かく折って半日以上水につけてどろどろにすり潰し、小麦粉(または芋類や雑穀粉などあるもの)を加えてフライパンで焼く。


●洋風とうもろこしご飯
とうもろこしを茹でてすり潰し、水と小麦粉でドロリと煮て、ご飯にかけて食べる。味つけは塩と胡椒。

●焼きおじや
おじやに芋やパンの切れ端などを入れて、小麦粉を加えてフライパンで焼く。




厳しい食糧事情のもとで生まれたごちゃまぜ増量レシピだ。




醤油や味噌も配給制だから、味つけは塩と胡椒だけのものが多い。あればカレー粉、牛乳、ミルク、トマトで味つけをとある。

あまり食指が動かないなぁ… と思って読んでいたら、著者の言葉で複雑な気分になった。

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注意したいのは、このころには材料の分量がほとんど示されなくなっている点だ。何グラム、大さじ何杯といった分量を提示できるのは、素材が自由に手に入る平和な時代ならではのレシピだったのである。
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当時の状況を補足説明しておくと( ..)φ

昭和16年(1941年)に主食の米が一日一人当たり330グラムの配給制となったのが始まり。

翌年の夏には麦と麦の加工品が主食の枠に加えられる。(米330グラムに対して乾麺なら375グラム・小麦粉なら350グラムに換算して配給)

精米も当初は七分づきだったが、「つき減り」を減らすため五分づきとなり、最後は玄米のまま配給される。

乾パン、とうもろこし、さつまいも、じゃがいも、大豆での配給も増える。

敗戦直前の昭和20年7月には配給の基準となる米の量も300グラムになった。1割も減っている。

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このような状況では、家庭の料理が[ご飯+うどん+小麦粉]ごちゃまぜになるのも当然で、分量も必要ない。とにかくあり合わせのものを何でもかでも入れて増量するしかなかった。

「おじやうどん」はそういう時代の名残りだ。




もちろん今ではだしがしっかりきいて具沢山の美味しい「おじやうどん」であるが 🤓

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話はすっかりそれたが、わが家ではポテを作った次の日はカレーライス🍛

そして、〆日の最後は一皿で二度おいしい「カレーライスうどん」の出来上がり☆彡


日本の食卓に うましかて!



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